初めて「働く」という経験をしたのが、上京した大学生のころだった山田さん。演劇専門誌を出版する会社でアルバイトを始め、卒業後そのまま就職します。「中学生の時に観劇にはまって、実は演劇がたくさん見られることも東京に出ていった理由の一つでした」。
日々の業務では公演プログラムの取材や執筆、月刊誌などの編集に携わり、取材に関わるすべての段取りをこなします。「公演前に稽古中の10分間をいただいて取材をするようなこともあるので、とにかく相手に負担を掛けまいと気を使っていました」。話を伺ううちに心を開いてもらえたり、考え抜いた質問に興味を示してくれたりした瞬間はうれしかったと言います。一方、編集業務で心掛けていたのは、いかに情報の精度を上げるかということ。誤植を出さないためにも、データチェックや校正は複数人で何度も行っていました。そうして出来上がった雑誌で、作品と読者をつなげるのが山田さんのやりがいでした。しかしその後、出版不況などもあり会社は倒産。半年後にフリーランスとして後継雑誌の創刊に携わりますが、父親の体調悪化を機に旭川に戻り、出合ったのが現在の職場、三浦綾子記念文学館でした。